【下村博文政策ブログ①】 「GDPからGDWへ」

私の考える政策について多くの人に知ってもらいたい。そういう思いで毎週政策ブログを更新します。是非、ご一読いただき、ご感想をお聞かせください。
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【下村博文政策ブログ①】 「GDPからGDWへ」

 以前、私は「GDW興国論」という本を出版しました。また、国会で初めてGDWを取り上げました。自民党内にWell-being計画推進PTを立ち上げ毎週部会を開催しています。その影響もあって今ではすべての省庁で「Well-being」と「GDW」の考え方は浸透しつつあります。

 先ず、言葉の意味を再定義します。GDWは一国のWell-beingの総和「Gross Domestic Well-being」(国内総幸福度)の頭文字をとったものです。Well-beingとは「精神的・社会的・身体的な良好な状況である」と定義されています。似た言葉としてGDP「Gross Domestic Product」という言葉がありますが、こちらは経済指標の一種であり、一国の経済規模の総和、または一国の経済成長を表すものです。

 GDWとGDPは似た言葉であるものの、その内容は大きく変わります。というのも、GDP(国内総生産)で図れる指標は一国の経済規模・成長率ですが、GDWで図れるのは、経済指標だけではなく、国民の「経済状況」「社会環境」「生活環境」等の幸福度・充実度についてです。

 これまでは経済成長することが国民の豊かさに繋がる時代であり、特に高度経済成長を経た日本ではその意識が長らく続いていました。経済成長し続けることが、国民の幸せにつながるという考え方です。しかし、GDPが大きくなることが必ずしも国民の幸せにつながっていないのではないかというのが最近の議論です。

 例えば、GDPは病気の治療費や交通事故による救急車の出動、他にも武器の生産等も含まれており、GDPが大きくなることが必ずしも国民の幸せに繋がっていない可能性があります。森林を削って住宅や工場を増やすことはGDPを大きくしますが、一方で大気汚染を促進します。つまりGDPの拡大は、国民生活の「幸福度」「充実度」という視点からは必ずしもプラスではないことがあるのです。

 こうした議論の中で、SDGsで知られる「持続可能な開発目標」が国際社会では共有され、2030年までの達成目標を定め、日本でも国を挙げて取り組みを進め、地方自治体や経済界などでも拡大しています。

 ただ、SDGsについても2030年までの目標であり、国連やOECDなどでいわれているのが「Beyond SDGs」(SDGsの次)は何か?という議論です。残念ながらこのことについて国際社会の合意されたものはなく、率直にいえば、SDGsも国際社会ですべて受け入れられているわけではなく、今なおGDP成長率や、GDP規模の比較を続けているのが現状です。

 私は、そのBeyond SDGsこそ「GDW」と「Well-being」だと考えています。このまま世界各国が経済成長のみを追い求めた時、行きつく先は甚大な自然災害の多発と、貧富の格差の拡大による更なる貧困の深化、そして地球環境そのものの破壊だと考えています。これは決して大げさなことではなく、すでに日本では甚大な天候被害や、自然災害が毎年発生しています。このことは経済成長だけを追い求めてきたことによる結果だと私は考えています。だからこそ、政策に取り入れるべき指標を改め、国民の幸福度や充実度に意識を向けることが日本でも求められており、これは世界でもコンセンサスを得られるものです。

 このことを前提に、次回はBeyond SDGsとしての「GDW」「Well-being」の実現可能性について提言したいと思います。